歴史教科書だけでなく、重要な国語教科書や音楽の教科書にも興味があるので、一度ゆっくり目を通してみたいと思っている。
図書館や区民センターに、小・中学生の使う教科書も置いてほしいものである。
今、学校には師と弟子という境がない。
けじめを教えず何を教えるのか。
私達の学校時代は、先生とは尊敬し敬遠される存在だった。
職員室に入る時はノックをし、きちんと礼をし、もちろん敬語で接する。
そこには見えない一線があり、何となく聖域でもここからここまでは教室でここは廊下、そしてここは尊敬する先生方のいらっしゃる職員室というふうな境がまったくない。
これは学校といえるのか。
いつときも目を離せない保育園ならわかるが、小学校とは、大人への準備の大切な時期である。
昭和二十三年生まれの私には不思議なことがある。
小学校のPTAや保健室で講演をさせていただいた時のこと。
どの学校も教室はきれいで設備も整っているが、教室を覗くと生徒が大きな教室にパラパラしかいないのである。
教室は開け放たれ、教員室も校長室も開け放たれており、確かに開放的であり、一見、平等でよさそうに見える。
しかし、学校としての秩序はどこで保たれているのか。
ゆとり教育の勘違い。
核家族化が進んだ現代、家庭では敬語を使う機会があまりない。
夫婦もため口である。
学校でも敬語を使わなかったら、どこで敬語は学ぶのであろうか。
就職する段階で、尊敬語や謙譲語の使い分けが出来ず苦労している学生も少なくないのが現実でああなった。
小学校五年生のI君のお母さんは、「子供達の先生に対する言葉使いには、びっくりします。
フレンドリーがいいということでしょうか、先生に対して、ねえねえ、なんだようと言うのです。
我が子が先生に、です、ますで話しましたら、担任の先生から、堅苦しいと言われてしまったというんです。
子供らしくない、かわいげがないという言い方でした」とおっしゃっていた。
平等もここまできたか…の感あり。
あちこちで耳にはしていたが、実際に体験したお母様からの話であっただけに強烈であった。
子供に親としてどう教育するべきか、切実な問題である。
「私は、生徒に、○×さんと呼ばせているのです」とフレンドリーであることを誇らしげに言う先生もいらっしゃるとお聞きした。
学校に先生がいない。
弟子もいない。
集団で旅行するということは、団体訓練という意味で非常に重要であると思うが、その訓練も、自主性・個性の尊重の前には、いらぬこととなってしまうのか。
自主性や個性の尊重なら、基本的な生活学習から出来ると思うが…。
より教育を子供に受けさせたいと考え、公立の学校には任せておけないと私立に入学させる親が増えてきている現状も、当然の流れである。
親は大変な時間とお金をかけて子供を塾に行かせ、子供の負担はさらに大きくなる。
お金がかかってでも私立に行かせたいと何故、親が思うのか、公立学校を運営する委員はいう。
「先生にほめられた一言が心に残り、今あるのは先生のお陰です」と大きくなってから語る大人は少なくない。
先生の一言で、人生までが変わることもある。
「先生」には、一段上の存在であってほしい。
高校であれば、学問を教える専門家になったとしても仕方がないかもしれないが、せめて小学校の先生には、人生の師でもあって欲しい。
フレンドリーであっては欲しくない。
最近では、修学旅行の形態も大きく変わった。
行き先の候補がいくつかあって、自由に選択できるような形をとっている学校が多い。
また、ひどい場合だと、現地集合という修学旅行もあるという。
残念でならない。
本来の修学旅行の意味が全くなくなってきてしまっている気がする。
もっと真剣に考えるべきではないだろうか。
成績のいい学校に入れて一流大学に入って、一流商社に入って…などと考えている親は少ない。
我が子にとっての、いい環境を求めているだけである。
次男は、高校から全寮制の学校に入学した。
いつのまにか自分で学校案内等を取り寄せ、もう行くと決めてしまった。
いくら四人の子がいても、息子が高校生から家庭を離れ外に出るとなると、複雑な思いである。
「私の作った御飯がおいしくなかったのかなあ…」「家がいやだったのかなあ…」と一人で悩んだ。
学校でいただいた入寮の準備用紙に、バケツと洗濯板が入っていることにまずびっくり。
生徒には学年の上下があって、高校一年生は洗濯機が使えないという。
山梨の寒い冬に我が子が洗濯板で洗っている様子は、想像するだけで涙がでそうだった。
寮では、「はい」と大きな声で点呼がある。
本来ならば、はい、おはようございます、こんにちは、こんばんは、ありがとうございます等の基本的挨拶は家庭で躾られるものであるが、挨拶が出来ない生徒が多いため、まずその教校育から始めることにしたという。
返事だけでなく、食事のとり方、姿勢、清掃の方法までも、先生や上級生に教えられたらしい。
我が子はどうであったか、心配であるところだ。
寮には親は入れない。
面会は寮監室に行く。
すると放送により、自分が来ていることが息子へと伝わる。
息子が部屋から出て来る。
「自分は○×であります。
ただ今まいりました」と礼儀正しい様子に、おお成長したなと思うが、ついほろりと涙がでそう。
子供は成長しているのに、子離れ出来てないのは私のほうであった。
この学校は、「話のわかる親、話のわかる教員には三文の値打ちもない。
家庭における父親、学校における教員は、権威をもって断固として正義を教える義務がある」と言い切る。
入学してすぐ高校一年生の道徳訓育や武道の授業の始めには、「校訓」の意味を理解し唱和し覚えさせられるという。
それぞれの学校には校訓はあっても、十年経っても覚えているような指導まで普通はしない。
この学校の就職率は一二〇%であるという。
新卒の学生は挨拶の仕方、目上の方に対する言葉使いから研修で教えなければならないため、即戦力にはならないという。
礼儀、言葉使いが身に着いているこの学校の生徒は、即戦力になるため経営者が欲しがるのだろう。
息子が通っていた頃からだいぶ月日が経ち、学校の様子も少し現代的に変化した。
しかし、学校の基本方針には何の変化もないようだ。
生徒は礼儀正しく、生徒と教師の間には確実に師と弟子の関係が存在する。
凛とした校内の様子は気持ちがいい。
団体訓練が出来てこそ個人が尊重され、個性が光る。
そこからゆとりが生まれるのだ。
文部科学省では、ゆとりの教育を推進し週休五日制にし、授業数も減らした。
Iさんに小学校で配られた年間行事の日程表を見せていただいたが、年間休日が一六八日もあることにびっくりした。
入学式、対面式、遠足、避難訓練等のイベントにより登校はしても授業はなさそうな日もあることを考えると、授業のある日は半分以下である。
ゆとりとは、いったいなんであろうか。
おまけに、ある受験塾での資料を見せて頂いていた時のことである。
「学習指導要領による主要教科の六年間授業時間の変化」と題する資料があった。
主要四科目をグラフで表わしてある。
一九七一年では三九四一授業時間が、二〇〇二年には二九四一時間となっている。
何と、約一千時間の差があるのだ。
約四分の一の授業が減ったということになる。
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